1. 聖書の改ざん(改竄)の背景:
すでに 原始キリスト教の時代から、グノーシス異端 ・・・ イエス様の「神性」を否定、あるいは、「完全な人として来られたこと」を否定する、のどちらか一方を主張する異端 ・・・ が存在し、それらの教団に影響された
新約聖書が存在していました。使徒ヨハネ等は、これらの教理的異端と戦う働きをしていたことが、ヨハネの手紙第一などに書かれてあります。
聖書のギリシャ語への写本は キリストを記述する特徴から分類され、特に、アレキサンドリア型 といわれるギリシャ語写本は、イエス様の「神性」を低くする、または否定するような単語の用い方に改ざんしたり、聖句を部分的に削除したり、グノーシス的な特徴を押し出した編纂になっています。
これに対して、ビザンチン型では、9世紀からの聖書に用いられ、宗教改革時のプロテスタントの聖書(+ ギリシャ正教(ビザンチン本文))が翻訳され、KJV(英国欽定訳、1611年、1769年)等の伝統的旧・新約聖書となりました。(他に、シリア型などがあります)
この正しいビザンチン型と、改ざんを受けた アレキサンドリア型では、旧・新約全体で5000箇所もの相違点があります。
・ 旧約聖書は、1947年にクムラン教団の洞窟から 『死海写本(死海文書)』(公開: 死海写本イザヤ書)が発見されました。 このうち イザヤ書の巻物については、その羊皮紙の炭素14同位体分析により、平均BC100年頃(BC250−AD70)に書かれた イザヤ書のほぼ全文(Great Isaiah)であることがわかり、内容の文章も 現在のユダヤ教の
マソラ本文(ほんもん)と (H、W、Eなどの装飾的文字の挿入を除いて)ほぼ完全に一致している、ということが発見されました。 このため、戦後のこの発見以来、現在の旧約聖書 39巻は、すべてマソラ本文の翻訳によっています。 そのほかの、モーセ五書、預言書、詩篇などの部分も、旧約の外典、偽典、注解書、クムランの典礼書とともに明らかになりました。 ユダヤ教徒に伝承されてきた マソラ本文(ほんもん)と、驚くべきことに1900年を経てもほとんど内容が変わっていないことが確認され、このことにより、確かに、ユダヤ人は、主によって みことばを託された民であることが言えます。( → 6.トピックス(死海写本−イザヤ書))
「預言書」としてのイザヤ書の信憑性は、上記のC14法により、イエス・キリストの生誕以前に書かれた確率が95%以上であるので、十分 御子イエス様をあらかじめ「予告」したことが証明されています。 ・・・ 「聖書は神の霊感によって書かれた、」(Uテモテ3:16)『誤りなき
神の言葉』 です。
このように、現在のキリスト教の旧約聖書のほとんどは、マソラ本文から直接の翻訳を使用しています。(新共同訳は、外典以外は、ビブリアヘブライカ シュツットガルテンシア(ドイツ聖書協会)を、外典は70人訳を、それぞれ底本としている)
一方、”70人訳旧約聖書(セプチュアギンタ、ギリシャ語)”は、ファラオの命令により、BC4〜5世紀に書かれたヘブライ語聖書を、BC3
世紀からBC1世紀にかけて段階的に訳されたもので、原典に忠実でない部分(誤訳、意訳、意図的な改竄など)を多く含んでいます。部分的に正典聖書、大部
分を外典に用いられている。
・ 新約聖書: 問題は新約聖書です。 この、ギリシャ語の3大写本として、
アレキサンドリア写本(5世紀前半 → そのまま伝承、 旧約:70人訳、+ 新約、 記号:A)、
バチカン写本(4世紀 → そのまま伝承、 新・旧約ギリシャ語、 黙示録 および 公同書簡(ヤコブ、Tペテ、Uペテ、Tヨハ、Uヨハ、Vヨハ、ユダ)を含まない、 記号:B)、
シナイ写本(1844年発見、 4世紀・最古の写本、 旧約:70人訳 + 新約のほとんどを含む、 記号:アレフ) ・・・ 特に、誤写と 意図的な改ざんが多い(シナイ写本とバチカン写本の検証)
が知られています。 しかし、これらの写本はすべて 根本的に アレキサンドリア型の改ざん聖書です。 アレキサンドリア写本は、福音書のみがビザンチン型で、残りはすべてアレキサンドリア型、また、バチカン写本、シナイ写本はすべて
アレキサンドリア型です。
ここで、19世紀イギリスの、”現代訳聖書の父”とも呼ばれている ウエストコットおよびホートによる”ギリシャ語訳新約聖書”(1882、1892)は、当時のシナイ写本の発見(1844)もあいまって、これらのギリシャ語訳写本を用いて編纂し、イエス様の神性を否定する グノーシス異端が聖書に入り込むことになりました。(ウエストコットは、ケンブリッジ大学教授の一方、ニューエイジ運動の発起人、 交霊術をするオカルティストでもあり、敵に用いられた悪魔 ・・・ 最期は麻薬中毒で死んだそうです。 その写真が残っていて、霊の見分けによると、最悪レベル。)
この改悪聖書が ギリシャ語原典として編纂されたのが ネストレ・アーラント(Nestle-Aland)(1913年)で、 現在に至るまで世界中の多くの新約聖書に用いられている、という大きな問題があります。
さらに20世紀の米国では、(毎度おなじみ)ロックフェラー(=にせユダヤ)配下の
ロックマン財団が、多くの現代訳聖書出版(ASV、RSV、NASV、NIV、リビングバイブル等)を手がけてきました。 このように、この150年間、イルミナティーに影響された”改悪版聖書”が多く 世に送り出されることになりました。エホバの証人、モルモン教などの米国系の異端グループは初めからイルミナティーの一部です。
正しい KJV(KingJames Version、英国欽定訳(1611、1761))、NKJV(新ジェイムズ王訳(1982) ・・・『国際ギデオン協会聖書』にも用いられている)と比べ、たとえば
NIV訳では、相違箇所が旧・新約全体で5000箇所、キリストの神性の削除が
新約だけで135箇所もあります。
* 対NIVの削除箇所表 これは改ざんの一部でしかありません。現在 米国では、心あるクリスチャンたちによる反対運動から、NIV訳は出版停止になっています。
さらに、異端宗派(エホバの証人など)や カトリック・マリア派の聖書改ざん・削除は、これに加えてひどいものがあります。
・ 日本語の聖書では、文語訳聖書の明治元訳(旧約)だけが健全で、文語訳・大正元訳(新約、大正4年)からは アレキサンドリア訳を底本としたものとなり、その後の、口語訳(昭和29年)、新改訳、新共同訳(これは旧約聖書も70人訳)もすべてこのグノーシス異端の影響を受けています。
アレキサンドリア写本は、福音書だけは かなり正しいと思われますが、明治時代、松江バンドで、上記のウエストコットの講義を受けたバークレーバックストンが翻訳したので、英語からの文語・新約聖書は初めからあまり良くないはずです。
日本で福音がなかなか宣べ伝わらないのは、歴史的な罪ののろいに加えて、一つには、聖書に原因があると考えられます。 ・・・ 読んでみると、「主の臨在」、「神の息吹(神の霊感)」、「聖霊による感動」がなかなか感じ取れない部分が多くあります。 その原因は、
@ 底本が改ざん聖書のアレキサンドリア型 であるのに加え、
A さらに、多くの用語が日本語的に”あいまい”にされ、また文法が”丸められている”こと です。(したがって、正反対の訳も随所に見られます。) ・・・ 一つ一つ正しいギリシャ語(Textus Receptus)から訳してみると、随所で、日本語訳が実にいい加減な、本来の意味と違う訳になっているかが分かります。(→各論をご覧ください: 福音書、書簡等)
また文語旧約は比較的正しいですが、 「主」をすべて「エホバ」と訳していて読みにくいのが欠点です。
みことばの記述が弱く 妥協的であるので、戦中のホーリネス以外の教会は
”日基”として軍部に妥協し、天皇崇拝を強要する罪を犯しました。 ホーリネスは、カリスマの「神癒」、「異言」を認め、アズサリバイバルの体験者もいたことから
妥協しませんでした。
戦後は、進駐軍のときから 制度的な福音派の教会(多くは米国)が多く作られましたが、あまり根付かず、高度成長時代には低迷しました。これは、聖書翻訳のずれによって、(道徳的な働きはしても、)カリスマ信仰、神の国運動の信仰に立っていなかったからと考えられます。
§ 聖書と 底本の型:
新約聖書 | 福音書+公同書簡以外 | 公同書簡 | 黙示録 | 総合評価 |
(失われたギリシャ語原典) | ビザンチン型 | ビザンチン型 | 有 | ◎ |
Textus Receptus(1516年印刷) | ビザンチン型 | ビザンチン型 | 有 | ◎ |
ルター訳(1545年) | ビザンチン型 | ビザンチン型 | 有 | ○ |
KJV (1611) | ビザンチン型 | ビザンチン型 | 有 | ○ |
NKJV (1982) | ビザンチン型 | ビザンチン型 | 有 | ○ |
アレキサンドリア写本(A) 5c | ビザンチン型(福音書のみ) | アレキサンドリア型 | 有 | × |
シナイ写本(アレフ) 4c(1844) | アレキサンドリア型 | アレキサンドリア型 | 有 | × |
バチカン写本(B) 4c | アレキサンドリア型 | 無し | 無 | ×× |
Nestle Aland(ネストレ・アーラント1913) | アレキサンドリア型 | アレキサンドリア型 | 有 | × |
米国現代訳(NIV、リビングバイブルなど) | アレキサンドリア型 | アレキサンドリア型 | 有 | × |
日本語訳(文語・口語・新改訳(*)等) | アレキサンドリア型 | アレキサンドリア型 | 有 | × |
日本語訳(新共同訳)、故意の誤訳多い | アレキサンドリア型 | アレキサンドリア型 | 有 | × |
旧約聖書 | 底本と 翻訳 | 評価 |
死海写本 | マソラ本文と同一(ただしイザヤ書全文のみ) | ◎ |
マソラ本文 | イザヤ書が死海写本と同一のため、全体が信頼されている | ○ |
70人訳 | (昔のギリシャ語訳・間違いが多い) | × |
KJV | マソラ本文 (ヘブライ語 → 英語、ただし一部誤訳有り) | △ |
NKJV | マソラ本文からの翻訳を改善 | ○ |
現代訳(+日本語訳) | マソラ本文(+一部70人訳)(ヘブライ語・ギリシャ語 → 英語・日本語など) | △ |
新改訳 | 旧約聖書に限って 完成度が高い | ○ |
新共同訳 | 正典はヘブライ語訳、外典は70人訳 | △ |
* すでに普及している 新改訳聖書は、 脚注に”異本”、”*” の表示がある場合、逆にそれの方が正しいことが多いので、これを利用して改竄箇所を見分けながら読むことができる。(ただし KJV、Textus Receptus 等で確認の事) 新改訳の旧約は比較的良い。
** 異端(新世界訳(エホバの証人・ものみの塔)、モルモン書、カトリック・マリア派など)の改竄聖書
は 論外。
「(救われている)あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油(=聖霊)が
あなたがたのうちにとどまっています。 それで、だれからも(異なる)教えを受ける必要がありません。」 (Tヨハネ2:27)
ただし、聖書がいくら正しくても、その解釈が間違っている場合があります。救われていない(=聖霊様を受けていない)人の聖書解釈はめちゃくちゃです。
神学校の按手礼などによる異なる霊の注ぎかけ等による”間違った確信”によっても、部分的に間違った解釈は生じ得ます。(裁き的・律法的になる、反カリスマなど) また、聖書の一部(「創世記」など)を”不信仰”にとらえ、”神話”として解釈する牧師もいますが、聖書は初めから終わりまで『誤り無き 神の言葉』です。(ただし、「ソロモンの雅歌」は怪しい?、 「エステル記」には主(ヤハウェ)・神という言葉が一つも出てこない?(ただし間接的には主の臨在あり)、
ペテロの手紙、ユダの手紙は 70人訳外典からの引用部分がある。)
・ 創世記と 創造論との関係(* 進化論やビッグバン説は すでに破綻しています) → 聖書関連のDNAのまとめ
また、異端の人たちがするように、聖句の一部だけをとって(他は無視して)主張することはできません。聖書は
同じ神が語っているので、どこを読んでも主の臨在をともなう一貫性があるはずです。 偽典 や 人間的な教えの書などは、救われている人が読むと、「聖書」ではない
ということが感覚的にわかります。 なぜなら、(強度の洗脳がなければ、)内なる聖霊様が常に教えてくださるからです。異端の教理(霊が異なる)についても同様に聖霊様が教えてくださり、神からのものではないものとして区別できます。(Tヨハネ2:20、27)
たとえば、エホバの証人は 御子イエス様の「神性」を否定し、父なる神よりも低いものとし、また、地獄を否定し、現在はすでに千年王国だと主張しています。 しかし、御子イエス様が「神」であるからこそ、十字架に絶対的な効力があるのです。もし神よりも低い位置にあるなら、誰も救われません。
セブンスデーの人たちは、(旧約信仰として)土曜日を特別な日=安息日 として、この日に礼拝しています。 この新約の時代に エルサレムの第3神殿で礼拝しようとすることと同じように(主の時の あかしにはなりますが、)このままではイエス様の十字架を冒涜する行為になっています。 また、著しい食物規定(肉食の禁止、コーヒーもだめ)の縛りがあります。もし、「救い」の条件に、十字架以外の他のもの(ガラテヤ書では「割礼」)を追加するなら、それは”異端”です。 (ユダヤ的な文化が混じっているとはいえ、基本的に)日本人は「異邦人」であり、救われた異邦人クリスチャンがこの行為を行うならば、信仰的に退行したことになります。(「律法は救いに至る”養育係”」、ガラテヤ3:24、ローマ3:20参照)
世界中どこへ行っても、初対面の人でも、救われて 聖霊様を受けている人同士は、基本的な聖書解釈で一致することができるのは 重要なあかしです。 それは、御子イエス様が、全世界のどこでも遍在性をもつ 同一の神であることによります。 ・・・ 「信仰と キリストを知る知識の 一致」(エペソ4:12、13)